ゆきはな音楽祭とは
ゆきはな音楽祭(小森谷・中野・土屋音楽祭)
文化の街古河市を定義づけるものとして音楽文化も一つとして重要である。文化都市を標榜する以上その文化の歴史を忘れては今後の発展に期待することはできないと考えます。
わたしたちのふるさとである古河市。その古河市が古くから文化交流の盛んな地政であることはその歴史が証明するところです。大正時代には古河出身の鷹見久太郎の元に多くの童謡作家が集まり「コドモノクニ」を刊行しました。彼らが音楽を通して子供たちに寛容と博愛の精神を伝えたことは市民の知るところでしょう。それらを児童たちに歌わせることで暗く厳しい時代にも情操教育に尽力した旧古河市立男子尋常小学校(現古河二小)の藤沼先生など、多くの人々により、音楽文化の素地は昔からこの地に根付いていたと思います。
古河市には戦後間もなく文芸文化活動が興りそれを追うように音楽芸術として故中野篤親氏率いる古河音楽研究会が発足、続いて故小森谷二雄氏の古河緑声(ろくせい)会による合唱文化が始まりその十数年後、土屋道義氏が古河一高吹奏楽部OBを組織し古河吹奏楽団が発足し市民に親しまれる音楽団体として星霜を重ね、いまや茨城県でもっとも歴史ある団体として実績を重ね、さらに古河市シティウィンドオーケストラ(旧古河地区吹奏楽団)が生まれ数々のコンクール実績をものにするようになりました。21世紀になって古河フィルハーモニックオーケストラも生じましたが古河市の文化に寄与することなく消えてしまいました。一方総和中弦楽部創立により弦楽文化に芽生えが期待されそのOBの受け皿として、先述の古河フィルの脱退者や古河音楽研究会のメンバーを再結集して古河市民管弦楽団が始動しました。そのうえ昨年度はコロナ禍でありながら紆余曲折万難を乗り越えて古河市文化協会主催による古河市で初めて第九合唱(第一楽章と第四楽章)の演奏を果たすに至り、古河市の音楽文化は大きく成長する可能性を証明できました。ここに合唱文化での小森谷二雄氏・管弦楽文化での中野篤親氏・そして市民バンド文化の発足育成に尽力した土屋道義氏に敬意を表する音楽祭をもって古河市の音楽文化の基礎的歴史を認識することで我々の活動の連続性を広く市民に伝え音楽文化の持続的発展を願うために企画いたします。
ゆきはな音楽祭はこの三氏の業績を記念して開催するものです

小森谷二雄(こもりや つぎお)
昭和2年(1927)古河市(旧総和町)女沼に生まれる。
中学時代に音楽、特に声楽に興味を持ち、独学で発声練習を始め、昭和20年武蔵野音楽大学に入学。音大卒業後、藤原歌劇団へ入団。バリトン歌手として活躍。1952年小森谷音楽院と合唱団「古河緑声会」を設立。市内校の校歌を制作 旧古河市文化協会顧問 2009年没

中野篤親(なかの あつちか)
明治41年(1908)福島県いわき市に生れる。
武蔵野音楽学校(現武蔵野音大)器楽科卒 昭和15年に県立古河高等女学校(県立古河第二高等学校で教鞭を取る傍ら昭和21年中野音楽院と古河音楽研究会を設立。管弦楽演奏を市民に提供 昭和30年以降旧古河市文化協会副理事長・顧問を歴任
NHK番組の音楽や市内の劇伴や校歌など多数制作1989年没

土屋道義(つちや みちよし)
昭和43年(1968)古河吹奏楽団を設立。初代団長に就任。その後プロムナードコンサート・成人式・奉納演奏会・市民運動会など各方面からの依頼とドリル演奏など創意あふれる演奏に取り組み、また下山郵便局長としての職務の傍ら楽団監督として古河吹奏楽団を率いて市民アマチュアバンドとしては茨城県で最も長い歴史を積みあげた。2015年没