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古河の演劇史

古河市における演劇活動、特に戦後の演劇史を簡単にお話しいたします。

戦後間もなく何もなく食べるものも満足にない時期にGHQの検閲の目を盗んで文芸詩を発表していた当時の青年たち(山中君三・立石和正・田村泰一・小倉利三郎ら)がすさみがちな子供たちの心に潤いをとの願いから古河児童文化会を組織し、歌・折り紙・人形劇などを創作し雀神社裏の広場などで子供たちを集めて披露していた。何回かやっているうちに人形劇では飽き足らないメンバーが当時文学座の団員であった森田博を中心に分離、古河演劇研究会を発足したのが始まりです。それから多くの若者たちが出入りし、以後、より表現の高みを目指したり、広域で上演するなど試行錯誤が繰り返されていった。公会堂が建設される前のことである。

古河の演劇のルーツはご覧の通り文学座に行きつくのです。よってその前の築地小劇場そしてドイツ演劇・ロシア演劇にまで源流を遡ることができる!というにはいささか乱暴ではあるかもしれないが、古河市民にはひそかな自慢にしてもいいと思いますね。

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 左の表は古河市における演劇活動の概略の系譜となります。詳細はおいおい追加してゆこうと思っています。

昭和20年代
古河市の本格的アマチュア演劇の始まり
 古河市における演劇の始まりとして、まずは戦前に話を戻したい。戦前とはいえ明治から大正にかけては巡業の劇団が電気館(現在の中央町1丁目3のレオパレス)で主に行われていた。また時期は不明であるが義人田中正造(1841~1913)の活躍した時代その強力な支援者であった田中助次が古河駅前に劇場を構えていたがアマチュア劇団による公演が行われていたかというと今のところ資料が私のところにないので不明としておく。もっと先の時代での演劇の記録は見かけない。余談であるが古河市新久田(旧新久田村)に人形芝居の集団があったという。
本格的なアマチュア劇団が生まれるのは戦後になる。おおむねの経緯は前文の通りである。当時の10~20代の若者たちが森田博の指導を受けて演劇づくりが始まった。
 記念すべき第一作は昭和25年11月3日に真船豊 作 森田演出で「寒鴨」を古河演劇研究会と古河舞台芸術研究会のコラボ公演でありました。場所は古河二高講堂で、記録には同時に古河二高演劇部が森田演出の「ゆりかごの歌」という作品を発表している。以後古河演劇研究会は古河舞台芸術研究会を吸収合併さらに古河児童文化会のメンバーが合流し本格的な歩みを始めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

古河児童文化会 人形劇「ファウスト」上演後の記念撮影
前列左から 飯島・鳥海充男・奈良達夫・立石和正・茂呂悦子・小島・須永
後列左から 茂呂悦子・佐藤・?・茂呂清一・斉藤剣二・新田純弘
  (奈良達夫氏より聞き書き。フルネーム不明な方もいます)
本格的な劇中音楽​
 昭和26年3月28日 古河市立第二小学校講堂にて「なよたけ」加藤道夫作を音楽劇として発表。このとき音楽制作に中野篤親氏が参加。中野氏は古河音楽研究会というクラシックオーケストラを組織し定期的に発表を行っていた。武蔵野音楽大学の教授であったのでこれ以後も数多くの音楽作品を発表されたが、この音楽劇の楽譜が令和三年九月に台本とともに発見された。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「なよたけ」はかぐや姫の創作の前日譚として加藤道夫が1946年(昭和21年5月~10月:「三田文学」誌にて発表)商業演劇の舞台で初演されたのが昭和26年6月なのでダイジェスト版とはいえ本邦初演には間違いなくしかもアマチュア役者による上演と、なんとも言えない快挙をなしたわけである。そのうえ者加藤道夫から激励の手紙をもらったと記録されている。
 演出は森田博、出演者に通常は舞台監督で役者として舞台に出ることのない茂呂清一の名が出ているところから、役者不足ではなくたまに出てみたいと思っていたかは定かではない。その後も茂呂清一は出演者リストに散見される。茂呂清一氏は当時は東映動画の営業などをしていたので朝ドラ「なつぞら」のヒロイン奥原なつのモデル奥山玲子とは多分、顔見知りであると思えます。かのドラマに茂呂氏らしき人物が出てくるかと期待していましたが出てきませんでした(残念)脱線ばかりしていますがさらに歴史は続きます。

 

昭和26年8月2日 ルリュ爺さんの遺言 マルタン・デューガル作 会場 市公民館
演出 森田博  ルリュ 村西礼治  ラトリース 川西尚子
        公証人 鳥海允男  死 人   工藤克彦
 稽古を重ねてゆく中で森田家(金子家)には稽古に飽き足らず夜を徹して芝居について熱く語る若者が夜昼となく集まったらしい。

昭和26年11月3・4日 商船ラナシティ号 ヒルドラッグ作  会場 市公民館
演出 森田博  装置 松本明  照明 茂呂清一  舞監 川島尚子
        女将 中田みな子   セバスチャン 村西礼治
        セガール 鳥海充男  イドウ 茂呂清一 水夫 松本明・杉本健児
        女給 森田きよ子〈3日)・金子多摩子(4日)・武笠愛子(4日)
 初めて2日連続3公演を行う。団員同志の親睦を図るため旅行・パーティーを行う。
昭和28年7月26日 夕鶴 木下順二作 会場 古河市立第二小学校講堂
演出 森田博  音楽 中野篤親  装置 大塚満  照明 印出井衛・岩松清
        舞監 遠藤哲也  協力 金子多摩子・森田きよ子・朝野悦子
        よひょう 茂呂清一  つう 田中みな子  運ず 神原俊孝
        惣ど 鳥海充男  子供 小倉祥子他
昭和25年木下順二が山本安英のために書いた作品であり3年後に古河市で上演している。多分時代的にアマチュアで上演したのは古河が最初ではないかと思う。ちなみに山本安英逝去の4年後・1997年に坂東玉三郎がつう、この森田の劇団から文学座に移った
渡辺徹が与ひょうを演じた舞台も話題・好評をよんだという。歴史の面白さである。森田の妻の金子多摩子はこの作品を気に入りのちにつるのおんがえしという演劇を制作する。そして私に追悼公演やるなら夕鶴にしてと遺している。
昭和28年11月23日 ヘンゼルとグレーテル  会場古河市立古河第二小学校講堂
潤色演出 茂呂清一  作曲 中野篤親  装置 茂呂清一  照明 神原利孝
           効果 鳥海充男  衣装 斉藤正子  舞監 石川 治
           ヘンゼル 五十嵐九十九  グレーテル 小川千枝
           父 吉田明  母 大野幸子  妖婆 朝野悦子
 古河音楽研究会定期演奏会に有田バレエ研究所とともに共演
 
 
 
昭和29年1月27日  短編3作
    霜夜狸 宇野信夫作  演出 金子多摩子  装置 大塚満  照明 井上守
               番人 茂呂清一  たぬき 鳥海充男
    結婚の申し込み チェーホフ作 
               演出 栗原登代子  装置 村田光
               番助 増田幸一   とび吉 神原利孝  とみえ 服部照子
    水のほとりの女 田中澄江作
               演出 森田博  装置 村田光  照明 井上守
結婚の申し込みはチェーホフの喜劇のひとつ、多分世界中どこにでもある求婚のドタバタ劇、台本を読むだけでも楽しいお話である。
照明担当の井上(故人)はのちに古河市議会議員を長く務めることになる。余談だが最初共産党で立候補当選したが共産党がでたらめさなのに失望して保守系リベラルに転向したと本人から聞いた。なかなか博学で面倒見の良い議員さんでありました。
昭和29年11月6日 結婚の申し込み チェーホフ作  会場 古河市立第ニ小学校講堂
    演出 森田博 出演は1月27日版と同じ
昭和29年12月26日 思い出を売る男 古河市立第二小学校講堂
    演出 森田博  装置 大塚 満  照明 茂呂清一 音楽 深作 茂・吉田 明
    効果 栗原登代子 衣装 佐藤千恵子・柳田キミ  舞台監督 中田みな子
    配役  
    男 木村克郎  紳士 若木 旭  花売娘 小池章代  酔っ払い 増田幸一・鳥海充男
    広告屋 神原利孝  街の女 金子多摩子  GI 丸山郁也  ジェニイ 森田喜代子
    乞食 鳥海充男  与太者 三瓶利三  警官 増田幸一・村田 光
 創立5周年記念公演として発表。次の公演にワイルダー「わが町」の制作に取り掛かったが、神原・増田・井上が離れ「劇団杉の子」を創設活動開始したという。こちらは古河市内だけではなく周辺町村に巡回公演をしたらしい。
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